今回6月11日より公開、「裸足の季節」のジャパンプレミアに合わせて来日した監督と俳優たちにインタビューする機会を頂き、SISTER編集部が取材をしてきました!
 

⚠︎映画の内容に触れています。

──この映画では、まるで家全体が私たちの今住んでいる社会のように感じられました。たとえば家庭を牛耳るのは支配的な中年の男性で、それに制圧されている女性たち、というふうにです。このような実情を作中に取り入れたいと意識されたことはありましたか?

家を世の中の、社会のメタファーとして構成したということはあります。一つの家族の問題だけでなく、社会全体の問題であるということ、その比喩となるように構成しました。そして登場する男性でも支配的な叔父だけでなく、ヤシンやセルマが病院に行った時に助けてくれた医師など、彼らのように救いの手を差し伸べてくれる男性がいることも描きました。
だから男性がみんな頑なに敵、というわけでもありません。逆にトルコでは繁華街の大通りで、女性への制圧に抗議するということでミニスカートを履いた男性たちがデモ行進をした、ということもありました。そういうフェミニストの男性たちもいるんです。それでも男性が秩序的に支配的だということは事実で、それは男性にとってもつらいところや難しい部分があります。たとえば男性が女性にちょっと肩を触れただけでも何か下心があったんじゃないかと疑われてしまうことが起きるのもまた事実です。

──つい数日前に、トルコの大統領が「母性を拒否し、家庭を守れない女性は、仕事の世界で成功しようが不十分で、女性が母親業をおろそかにして仕事を優先することは認められない」と発言したニュースを読みましたが、このようなことは日本でも頻繁に起こっていることだと感じましたし、そんな中でラーレの存在が希望のようにも感じられました。村での状況を少女の視線から描かれていたと思うのですが、若い少女たちに焦点を置いたのには何か理由があるのかお聞きしたいです。

いろんな試行錯誤があったのですが、最初に姉妹が男の子たちと海岸で肩車して遊んでいてスキャンダルになってしまうシーンがあります。あれも家族の恥ということで姉妹たちはそのあと祖母に殴られ、叩かれていました。結局女性たちは普段の状況だとそれに何も口答えすることなく、それに屈してしまうしかないんです。私も実際にあのように男の子と海岸で遊んでいるところを見られてしまい不当な扱いを受けるということを経験したことがあって、その時私は自分があたかも汚れてしまったかのように思えて、恥ずかしい思いをしたのだと感じざるを得ませんでした。

そして私はその時それに対して何も言いませんでしたが、その思いがずっと後になっても心の中にあって、この映画を作ることでその思いをここで出して表現し、シナリオの一部に反映させました。
そして最初のそのシーンを踏まえた上で、後半では子供達に非常に馬鹿げたロジックを使わせました。ヌルが「お尻が椅子に触れたからその椅子もいやらしいでしょ」 と椅子を壊しますよね。それもこれと関連付けています。そしてそれを壊すのも女性だということで、女性に一つのヒーロー性を持たせました。彼女たちが立派だというところも見せようとしたんです。こういう女性たちの勇気ある行動を描かねばならないし、それは通常のやり方ではなくて通常を超えたやり方でなければならない。でもその方法というのは満足できるだけの成果がなければならないし、自然なありかたでも描けなければならない、そう考えました。

そしてストーリー中に暗くなるような題材がありましたが、最後にはこれはハッピーエンドにする形で終わらなければならないと分かっていたので、その間にこうして表現の仕方を工夫しました。また今トルコに住んでいる若者たちはみんなとても生き生きとしていて、人生を一生懸命生きているので非常に興味深いし、とてもクリエイティブでいろんなことに関心を向けて生きている、そういった世代の子供達です。彼らはトルコに住んでいながらそこで勇気を持ってさまざまなことを自由に表現しようとしています。なのでこういう映画で彼女たちの様子を描きたいと思ったのはトルコの若者たちからインスパイアされたということもあります。
 

 
──この作品で描かれているような閉鎖的な場所に住んでいる人たちでも、このような作品を見る機会があれば、自分のいる環境や状況について深く考える機会が持てるのではないかと思います。このように映画などの芸術作品は様々な境遇にいる人たちに対して啓蒙や、問題提起をするという役割もあるのではないかと考えているのですが、そういったことはいつも意識して作品を作られますか?


革命を起こすという考えは破壊をもたらしますが、実はそんな大きなものではなくてすごく小さなものでもあります。それはそれまでの状況の中ですっかり慣れていてしまっていた人々が「なんでだろう?」というふうに自らを問いただすことから始まります。フランス革命を考えてみても、世の中は突然「なんであの人の人生は私のよりも重要なの?」となったわけです。それは非常に小さいことだけれど、社会の構造はそれによって変わり、壊れていきます。
そして女性の扱いについてもそれは同じことで、元は小さなことから始まります。女性が性的なものと同一視されて扱われているということについても、ひとつの破壊点が必要だということです。そしてそれは本当に小さなことから始まるのであって、それは人々のものの考え方を変えていくというチャンスでもあります。
一方で、その変化を受け入れられない人たちからすると自分が今まで持っていた考え方にしがみつくことになります。
でもその批判する側の人も1時間30分の間、ラーレの視点でこの作品を見ることになります。なのでこの作品は彼らに対してはひとつの頭の体操の機会を提供したということにもなるわけです。彼らが慣れていない発想の観点をひとつ提供した、ということです。そして女性を内部から見る、という観点を持たせるのも重要でした。女性はこれまでずっと外部から見られてきました。女性は「見られるもの」、「もの」として。でもそれを理解するには女性を内部から見るという視点を持つことが重要です。女性はトロイの馬のようなもので、小さなキャンディの箱のように可愛らしく大人しいものに見えても開けると私たちは「見る側」と同じ人間であり、簡単なものではないですよ、ということです。
 
──本日はありがとうございました。

 
インタビュー前には皆さんに私たちSister Magazineの活動やマガジンができた経緯について少しだけお話しさせていただき、活動について共感していただけたことがとても嬉しかったです。デニズ監督の次回作や、姉妹役の皆さんのこれからの活動がとても楽しみです。
 
『裸足の季節』は6月11日(土)より、シネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMA他より全国順次ロードショーです。皆さんもぜひ劇場でご覧下さい。
 
裸足の季節

監督:デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン
音楽:ウォーレン・エリス
出演:ギュネシ・シェンソイ、ドア・ドゥウシル、トゥーバ・スングルオウル、エリット・イシジャン、イライダ・アクドアン、ニハル・コルダシュ、アイベルク・ペキジャン
原題:MUSTANG/2015年/フランス=トルコ=ドイツ/94分
提供:ビターズ・エンド、サードストリート
配給:ビターズ・エンド
© 2015 CG CINEMA – VISTAMAR Filmproduktion – UHLANDFILM- Bam Film – KINOLOGY
取材協力:ポニーキャニオン

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