私が思い出せる一番古い冬の記憶は、庭に雪がどっさり積もった日、父が雪かきをする横で、真似して自分の体と同じくらいの長さのシャベルを使って雪をすくった、あの瞬間だ。

父は私のシャベルにさらに雪を盛り足すイタズラをした。父は何にも言わないけど、楽しそうに私を見ていた。私はシャベルを地面から浮かせた状態を保つのが精一杯で、もぉー、これどぉすんのぉ、と思いつつ、遊んでもらっている、という感覚があった。

私の住んでいた田舎は、とても寒いところで、雪が夜のうちにしんしんと降り続けた日には、まだ暗いうちから除雪機がごーっと家の横を通り過ぎて、雪が相当積もっているのだろうなと布団の中で知る。外が白んでくると布団から出て外の様子を見るために窓のところの障子を開ける。障子の向こうの窓ガラスには雪の結晶が薄い氷となってびっしり張り付いている。雪の華が満開だ。窓ガラスを開けようとしても凍りついていて簡単には開かない。雪の結晶の張り付いたのを、息で温めてじわーっと溶かす。外を覗く。真っ白な世界。

玄関へ回って、外に出てみると、庭も木も車も家も白い布団をかぶっているような、ホイップクリームを乗っけているような、粉砂糖をたっぷりふりかけたような、柔らかい世界に、白いふわふわがたくさん、ゆっくり落ちてきている。角のない、まあるい世界。家の周りのどの山も粉砂糖を被っているけれど、特に遠くに見える標高の高い山は真っ白で、そこには童話や神話の世界が本当にあるんじゃないか、と見るたびに息をのむ。まるで大きな白い神殿みたいだ。

小学生の時には学校の中庭の日陰にビニールシートで作られた浅くて広めのプールを凍らせ、簡易スケートリンクが出現した。体育の時間にスケート靴を履いて、ひたすらスケートリンクをみんなでくるくる巡回する。スケート靴の靴紐をきゅっと蝶々結びにするのも、鋭い刃も、スケート靴で廊下を歩いてスケートリンクまで行くときの変な感じや、止まることなく延々と滑り続けること、何もかもが私をわくわくさせた。いつまでも滑っていられる気持ちがした。スケートは大好きだった一方で、スキーは大嫌いだった。リフトに乗るのも退屈だし、じっとしてる間に足先が冷えて痛くなるし、私は滑るのが遅いから友達には置いていかれるし(広いゲレンデでひとりぼっちにされるのがどんなに心細いことか…)、急勾配のコースなんてほとんど拷問。山道コースを散歩するみたいに滑ったのは楽しかったけど、雪、雪、雪、の坂をひたすら下るのは、何が面白いんだか全くわからない。スキー場の中では、休憩所の暖炉の前で足を温めながらぼーっとしている時間が唯一幸せだった。スキーにはいい思い出がない。

それから、冬といえばクリスマスとお正月がある。私の家はクリスチャンでは全くない日本の一般家庭で、そういう家庭の多くは大体みんなやったと思うけど、小さい頃はクリスマスにサンタさんがやってきたし(後にプレゼントについて駄々をこねすぎて母からサンタさんなんかいない!と告げられ大泣きした)、居間に小さなクリスマスツリーも飾って、家族みんなでケーキや鶏肉を食べ、「クリスマスごっこ」をした。近所の家々では、庭や外壁や植木に電飾を競い合うように飾っていて、夜の真っ暗な田んぼから眺めると、サーカスでもやってきたのではないかと思うくらいに、とても綺麗だった。街に出てみれば道路沿いや大型店の店先などに、色も形も様々な電飾が飾られて、こちらもキラキラだ。

クリスマスが終わっても、すぐに大晦日とお正月がやってきて、年末年始特有の雰囲気になる。大晦日は大掃除をしたり、怠けて後回しにしていた年賀状を慌てて書いてポストに投函したり、夜は紅白歌合戦と絶対に笑ってはいけない番組を交互に見たりしながらダラダラと過ごす。テレビにも飽きつつ、それでもごろごろしていると、いつのまにかゆく年くる年が放送されている。それを見て、やや、年が変わるぞ!とソワソワしだして時計とにらめっこ。0時になったら、それだけで何もかもリセットされたような、または、壮大な何かがなんにもない状態から始まるような、妙にすっきりした気持ちになる。

周りにいる人に、明けましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします、とうやうやしく挨拶をして、余力があれば近所の神社に初詣に行く。近所の神社では二年参りといって年をまたいでお参りをするのだけど、私は怠け者なので、二年参りが終わった後、人もまばらになって焚き火がまだ残っている頃お参りに行く。そうすると、大抵近所の幼馴染達と会えるから近況を報告しあう。大人になった今ではみんなそれぞれ仕事があって、住む場所も変わって、なかなか頻繁に会えないけれど、こんな風に何気なく集える新年真夜中の焚き火ほど会話が弾む装置はない。

お正月が終わってしまえば、あとはひたすら春が来るのを待つ。その兆候は長い時間をかけ本当に少しずつ現れる。冬と春がごちゃ混ぜになったみたいな時期もあって、ふきのとうが雪の間から見えたり、梅の花が咲きながら雪が降っていたり、そういう風景はなんだか昔話に出てくるような日本の世界だ、と思う。

冬が本当に終わるのは桜が満開になった時。桜は春の始まりでもあるけれど、冬のフィナーレでもあるのだ。あぁ、なんてドラマチックな冬の世界。寒くて、モノクロ。だからこそ、自分の体温を感じることができるし、色づくものが際立つ。あらゆる命が地面の奥深くに潜んでいる、あの地表の静寂。

ここまで書いたらもうお分かりだろうが、私は冬が好きだ。いつまでも、冬は冬であってほしい。

nu
1993年生まれ。松本で働きながらZineを作っています。これまでにパーソナルZine『I am』、旅行記『SAN-IN TRIP』、ライブや映画など何でもレポートを募集して作る『Live Report Project』などなど、自由気ままに綴ったり印刷したり配ったり。現実がどうであろうとせめて、「しがない物書き」として生きてみたい。

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