わたしはいつか、女優になりたかった。むかしからドラマを観るのが好きで、いつか物語の登場人物になってみたかった。演技をとおして、自分以外の人生を生きることができるのはとてもわくわくすることのように思えた。でもわたしはみんなの前で発表をしたり、自分のしたいことや、思っていることを話すのがとにかく苦手だった。友達も少なかった。小学4年生のころ、腕を骨折をしたのをいいことに休み時間は全く外に出なくなり、家に帰ると孤独を紛らわすようにひとりおやつを食べ続けた。しばらくすると、自分でも自分だと認識できないくらい太って、自分がどう見られているかが気になるようになった。

着ると唯一痩せて見えると思っていたピンク色の服を着続けていたら、学校で男子からはピンクブタと呼ばれはじめて、ピンク色の服が着られなくなった。黒色を着るのが一番痩せて見えるから、と誰かに教えられるとわたしは黒色の服ばかり着るようになった。そうすると今度は黒ブタの家畜と呼ばれた。当時学級を仕切るのは必ず男子で、わたしは男子の意見ばかりが通るのがきらいだった。わたしは彼らに意見をすることがときどきあって、他の女の子たちよりも男子から嫌われていた。そんなわたしにとってキラキラしていて華美で、男子の憧れの的という存在の「女優」というものは、とても遠いものだった。

テレビの中に、わたしのように男性に嘲られているような「女優」はひとりもいなかった。みんなスリムできれいで、男性に好かれていて、そういう人たちこそが物語のヒロインなのだと思った。わたしは自分に似た人を、テレビの中に見つけられなかった。女優以外でテレビに出ている女性たちの多くはみんなわたしみたいに変なあだ名をつけられていたり、容姿を貶されて笑われていることばかりだった。わたしはそれにもなるのも、もうこりごりだった。ただ、わたしは演技がしたかった。でもわたしは、太っていて可愛くない。ヒロインになれないわたしは、「女優」になる資格がないと思った。

高校生になったころ、わたしはまだ女優になりたかった。小学生のころより大人になったわたしはまず、女優になるには美しくなること、つまりは痩せることが必要だと考えた。まずは食べたものを記録することから。わたしは食べたものを毎日ノートに記録しはじめた。ひとつも書き忘れてはいけない。友達のジュースを一口、お菓子をひとかけらもらっても、どれも忘れずにノートに書き込んで、毎日カロリーを計算した。ある時はジムに通うためにアルバイトをして、必死に運動をした。3日間スープだけを飲んで過ごせば痩せやすい身体が手に入るというダイエット方法を知ったときは、更に効果が出ることを願ってプールでフラフラになるまで何時間も歩き続けた。3日目の朝に目覚めたとき鏡に映ったのはどす黒い緑色をした自分の顔で、わたしはあそこまで緑色の顔をしている人間をあれ以来見たことがない。

それでも体重は一向に減らなかった。そのうち食べ物のことが頭から離れなくなり、食べることが怖くなった。すごく少なく食べる日もあれば、反動で気分が悪くなってしまうほど食べてしまう日もあった。ある日、わたしが食べものを食べ過ぎたとき、ふいに吐き気がした。わたしはそのままトイレに向かって、喉に手をつっこんで吐いた。そのときわたしは思いついた。そうだ、いつもこうすればいいんだと。食べたいものをいくらでも食べられて、吐いてしまえば全部なかったことになる。なんで今までそうしなかったんだろう。これを思いついたわたしはなんて賢いんだろう、そう思った。痩せたいといつも言っている学校の女の子たちも、みんなもこうすればいいのにと。

それからわたしは吐くことを実行しはじめた。家だけでなく学校でお弁当を食べたあとにも毎回トイレに向かった。ときどき、友達と出かけて何かを口にしたときはすぐにトイレに向かえなくて、本当に落ち着かなかった。食べたものはすべて一刻も早く外に吐き出してしまわなければならなかった。それが半年以上続いたころ、わたしは最初の体重よりも8キロほど痩せた。それでもまだ50キロは切らなかった。オーディションの応募シートには正直に自分の身長と体重、スリーサイズを書いて送った。合格なものはひとつもなかった。8キロ痩せたわたしに対して、すごく痩せたね、どうしたの?と心配されることもあれば、そのことを伝えても全く気付かなかった、と言われることもあった。人の目とはそういうものなのだ、と思った。

なんとか大学生になったころ、わたしは女優になりたかったことを忘れていた。アメリカの文化に憧れていたわたしはそのころとてもアメリカ的な校風の学校で勉強をしていた。アメリカの文化を追うようになって、アメリカのショービズ界にはスリムで華美なひとばかりではなくて、さまざまな人種、さまざまな体型をした女性たちが女優として多く活躍していることを知った。その中にはわたしより太っているひともたくさんいた。でもその人たちは誰かにばかにされるわけでもなく、太っていることを卑下して卑屈になるわけでもなく、堂々と胸を張って役者としての仕事を全うしていた。彼女たちの発言や振る舞いはいつも堂々としていて、誰かに遠慮をしているようなものではなかった。そしてそれは必ずしも美しく、その場や作品の「華」の役割を担っているようなものでもなかった。

そのころ、見知らぬ男女が電車で偶然出会ったことをきっかけに夜通し語り合いながらウィーンの街を歩き続ける「ビフォア・サンライズ」という映画を初めて観た。作品では登場人物の女性が男性の話すことに相づちを打つだけではなく、彼と対等に会話をしていて、そしてそのことがとても魅力的なこととして描かれていた。これを観たときわたしはとてもびっくりした。これまでわたしには男性と対等に何かを語ろうとするたび、邪険に扱われたり、容姿を罵倒されてきた記憶がある。わたしは男性と対等に会話をし、ときには張り合う女性なんて魅力的どころか、悪とされている場面にしかいままで遭遇したことがなかった。その後「ビフォア・サンライズ」で自立心が強く、社会活動に積極的な女性を演じているジュリー・デルピーが女優でありながら映画監督でもあり、この作品の脚本にも参加していることを知った。それからわたしは誰かの作品の「華」になろうと必死にもがくのではなく、わたしも自分が出たいと思えるような作品を、自分で作ってみたいと思うようになった。

そしてそのころフェミニストを名乗る女優の多くが自身を「女優」ではなく、「俳優」と表現していることを知った。アメリカのネット上では「なぜアカデミー賞などのショーレースでは『最優秀俳優賞 女性部門・男性部門』というふうに分けられているのか?『最優秀女優賞・最優秀俳優賞』ではだめなのか?」という問いに対して、「『女優』という言葉は社会の求める「女」を演じ、カメラの前でただ美しくあることが仕事ということを表すという意味で使われてきた歴史的な文脈がある。そして『俳優』という言葉は演者としてプロフェッショナルな仕事をする人、という意味で使われてきた。その差をなくすため、『最優秀俳優賞 女性部門・男性部門』とされている。」というような議論が展開されているのを見ることができた。

わたしははじめて自分の思いに合う言葉が見つかったように思った。わたしはもう「女優になりたい」とは思わなくなった。ほんとうのところ、日本で女性が貶されず公の場に出るには「華」、「女優」になることが必要であっただけで、わたし自身がほんとうは「女優」になりたいと望んだことはなかったのではないかと思った。そのときからわたしは、自分のなりたいものは「俳優」だと言うようになった。 そしてアメリカで多様な女性たちが活躍しているところを見ることで、わたしは癒され、大嫌いだった自分の体型を、少しずつ許せるようになった。

そのあとわたしは夢だったアメリカ留学をして、演技の勉強も少しした。友達の映像作品に出たりもしたけれど、わたしの演技はひどいものだった。当たり前のことだけれど、やりたい、と思うだけで才能があるとは限らない。でもわたしは続けていきたい。嘲りの対象になるためでもなく、わたしはこうして存在していると、表明し主張してゆくために。どんな人間でも存在を肯定され、どんな夢、たとえば演じたいと願うことが許され、それが実現できる世界になればいいと願いながら。もし誰かに嘲笑われたとしても、わたしは今日も自分の姿を映し、発信し続けるだろう。

簡単なことではないのはわかっている。数十年後、もしかしたらわたしは夢破れて全く違うことをしているかもしれない。でも一度きりの人生なら、わたしは自分の手でわたしの物語を語りたい。わたしはかつて女優になりたかった。わたしはいま、かつてのわたしのようなひとを勇気づけられるいい俳優に、いい監督になりたいと思う。

Tsukasa
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